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動労東京ブログ

国鉄東京動力車労働組合(略称:動労東京) 2016年6月1日結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の正規・非正規の労働者で組織する労働組合です。 全国・全世界の労働者とともに、国鉄1047名解雇撤回・外注化阻止・被曝労働絶対反対で闘います! 〒111-0041 東京都台東区元浅草2-4-10 五宝堂ビル5階 電話 03-3845-7461 FAX 03-3845-7463

私が動労東京時代にNAZENの江戸川区職の佐藤賢一宛に下記内容を送ったけれども、中核派の論理で黙殺された。瀬戸内寂聴が中核派に対して賛意を示しとったけど、返上して欲しい。

コレは生のメールや。

やっぱこういうナマナマしいのを主張してかなアカン。


私は自分のブログでも書いたけど、瀬戸内寂聴が日本共産党のウラで中核派に内々に賛意を示しているとの情報が入って、それをどうも中核派よりも日本政府のほうが都合悪かったっぽくて隠蔽工作してきとったけど、

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-fbbc.html

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-a44f.html

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-92c2.html

瀬戸内寂聴も、ナントナクの概念で日本共産党より主張がマシ、みたいなところだけじゃなくて、ウラでどんなドス黒いことをしているか、でも判断せなアカン。


私は、日本政府だけでなく、日本共産党も中核派も、全部私の敵と思うからこそ、こうして書く。

さすがに、いくら動労東京の真意ではないと思っても、やっぱ”動労東京”という名前を冠したブログにおいてこんな主張がされるんやから、私の個人ブログよりも、イロイロと人々の興味は引けるやろなあ。


あ、ちなみに、どうして私が動労東京のブログを更新できるかというと、そもそも動労東京のブログの更新係は私で・・・、というか委員長の吉野元久はなんもできんバカで私に全部放りっぱなしやった。

それで、私が動労東京や中核派と意見が異なったときに、私の意見を聞くことなく、それどころか、私が、意見を聞くとかいうレベルじゃなくて、ブログの移行手続きはしないといけない、と申し出たけど、吉野元久とか、事務局長の飯田英貴は全部無視したから、私は私なりの動労東京ブログを綴っとる。


もういっこ書くと、動労東京で、鉄道の技術に関して語れる人間はいない。

私なんて日立製作所時代に、いろんな経緯を経て、日立製作所内の窓際になったというのもあるけど、それでも、ホームドアの国家戦略を決める会議にアホな上司の代理で出て、私がその会議を纏めてもたこともある。

纏められるということは、それだけ技術についてわかっとるんやないか。

なのにアホの吉野元久は

「それは、大西君が、決めちゃいけないことを決めてしまったんだよ」

とか勝手に早合点してもとった。


”決めちゃいけないこと”なんてのはなくて、世界標準に勝つために、前へ進める理屈が必要やった。

私がその理屈をスラスラと言うてもただけや。

吉野元久も、島国根性で(いや島国以前に作業者根性というか、吉野は保線屋なのに、保線について語ることがなくて、ウラでなめろうを作ったこととか、あとは労働基準法の解釈とか、そんな、鉄道にあんま関係ないことばっか言うとった)、世界標準の発想がなかった。

労働基準法なんて誰かに任せろよ。

私が言うのもアレやけど、”労働者”ならばまず、自分がどんな仕事をしているかについて、アツく語れよなあ。


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From: hidenobu onishi <kotochan0725@gmail.com>
日付: 2016年10月8日 0:19
件名: NAZENの佐藤さんに転送ください。私の主張で、映画「夕凪の街、桜の国」の上映会を開いていただける見込みになりました。
To: katano975@yahoo.co.jp, "<tigercat@h.vodafone.ne.jp>" <tigercat@h.vodafone.ne.jp>


片野さん、飯田さん

お2人に書けばどちらから転送というお話になるかも知れませんが、とりあえず2人とも送付します。

今日の集会・・・・集会は正直、ほとんどありきたりでつまらなく、あまり実りがなかった、こんなことをしていてはダメと、率直に感想を述べました。
だって、戦争を止める方針が、「労働者の国際連帯」に集約されて、個々の人々がどう闘うかに落とし込むことがなく、なんら前進がなかったのですから・・・
もちろん、個別に新しく知った内容はありましたが、想定よりも小さなものでした。

の後に、NAZENの佐藤さんと飲んでぶっちゃけのお話をいろいろとして、私と同じ考えとして活動されている方に、白井佳夫さんがいると伺ったのですが、いやそれは高校時代から知っている!と、私が返したりしました。

その上で、映画「夕凪の街、桜の国」は、原爆について討論できるのではないかということで、上映会を開いていただけるとのことで、この内容を転送いただきたいです。

映画「夕凪の街、桜の国」
http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%80%80%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%9B%BD/327271/

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97-%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%9B%BD-DVD-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E9%BA%97%E5%A5%88/dp/B0012BLS02

マンガ「夕凪の街、桜の国」
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%95%E5%87%AA%E3%81%AE%E8%A1%97-%E6%A1%9C%E3%81%AE%E5%9B%BD-%E5%8F%8C%E8%91%89%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%AE-%E5%8F%B2%E4%BB%A3/dp/4575713430

公開当時の原作者のブログで私が為した議論と、それを読んでいる者がいて、私のアメブロ(不本意にも強制的に削除させられたのでそのコピペ)を記します。


インターネットで主張することって、仲間を獲得するという側面(これは実践上あまり期待できない)だけでなく、後世まで消せない証拠を残す、という意味でも大事(これは確実に期待できる。恣意的に削除される場合もあるけれども)というのを主張したいです。

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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=303&

【ネタバレ】映画観ました。私は残念派です。 投稿者:こと 投稿日:2007年 8月 4日(土)20時18分22秒 編集済
ずっと前に書き込みさせていただきました、ことです。
映画には疑問を持っていて、多少引いた目で見ていてどうしても会話として合わない部分があったので、質問されて回答していなかったものがあること、ご容赦ください。

私は観ましたけど、いろいろ疑問があります。Yahoo!やmixiで7/30に書いてますんで、もし読みたい奇特な方があればご覧ください。

今日はそこに書いてないことで、もっと根本的なことを思い返しましたので、一つだけ書かせてください。

確か皆実が「原爆は落ちたんやない、落とされたんよ」というような表現のことを言って亡くなっていったと思うのですが・・・この「落とされた」という表現は間違いなく使っていて、大変違和感を覚えました。

「落とされた」・・・では誰に?勿論、「アメリカの軍人」とか「B29の乗務員」とかいうのが正解とされるのでしょう。
けど、その裏にはアメリカの上層部がおり、それとやりとりしていた日本の上層部がおり、ロシアがおり、いろんな人の思惑の結果であって、「アメリカが落とした」と決め付けることに、私はあまり意義を見出しません。

むしろ、原爆は「落とした」。誰が、というと、「人間が」。
原作も、映画も、描きたいことの一つとして、"今後核兵器が落とされることがないように"、という思いがあって、だからこそいまこうして核に苦しむ人を描くことに意義があるので。「落とされた」というのは描かれるべきでない被害者意識を表したものだと思うのです。

そう思って原作を読み返すと、P33で「原爆を落とした人は」という表現が使われているだけで「落とされた」とは一言も書いてありません。もちろんP33も主観的に読めば「B29の乗務員」になるんでしょうけど、広義に読んで「落とすことに加わったすべての人」という解釈も可能です。(「落とされた」では不可能な解釈です)


この、「落とした」主体の件がどうしても気になって、Webで調べてみましたら、(こうのさんを始めましてこのページを読む人には恐らくものすごい基本的な事柄で恐縮ですが・・・参照したのは下記)
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/

http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page2ax2c.html


広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の碑文「安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから」には主語がないという論議があり、パル判事が「原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭」としたのに対して、雑賀忠義広島大学教授が抗議し、
「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」と


やはり、映画版の「落とされた」はどうしてもマズイかな、と思います。こうのさんに恐縮ですが・・・
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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=302&

【ネタバレ】投稿へのレスです。 投稿者:こと 投稿日:2007年 8月 5日(日)10時01分29秒 編集済
文才がないので長文になります。失礼します。

>KOBIYASI さん

「落ちた」「落とされた」或いは「落とした」は、”てにをは”の問題というより、皆実自身が「落ちたんやない、落とされた」とわざわざ言明しているので、映画では意思を持って描かれていると思います。(それに納得いくかは別として)

“落とされた”が、16ページ2,3,4コマのモノローグから導き出された物かどうかという件。16ページの内容は23ページに連なると思います。

「わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ」

これも、アメリカに思われた、という解釈もできますけど、むしろ23ページの
「何人見殺しにしたかわからない」
「塀の下の級友に今助けを呼んでくると言ってそれきり戻れなかった」
「救護所には別の生物のようにまん丸く膨れた集団が黙って座っていた」
という表現から、皆実こそが心のどこかでこれらの被爆者に対して、「死ねばいい」と思ったことを指すんじゃないかと読みました。
それが、実は自分の目で自分の体を見て、他の人に同じ思いで見られたという確信に繋がるのかなと思います。


>えんりこ さん

それだけ怒られると逆になだめたくもなりますが・・・

> テレビで「(前半の)『夕凪の街』だけで一本撮れる」とか「私は人間を描きたい」

テレビを見ていないので詳細のニュアンスは分からないのですが、この点は嘘ではないし別に山田洋次監督に怒られるようなものではないと思います。


単なる私の考えですが、この原作を、映画にするためには、被曝というものの実態を映像で追って、観客に以後核兵器を落とすべきではないと思ってもらうという面が一つと、現代の子供が、「死ねばいい」と思われ思った"ヒロシマ"の人に向き合うことにより、"ヒロシマ"の人を開放してあげるという面が一つあると思います。

前者をストレートに描くのであれば、「夕凪の街」だけで一本撮る、という選択肢もあったと思います。その場合は原作が非常に薄いために、監督の現地追加リサーチがかなり必要になると思いますが。
「桜の国」を入れてしまうと、その時点で視点が後者になり、「夕凪の街」は補完的な役割になると思います。勿論、被曝の実態は必要ですが、"ヒロシマ"の人を開放できる程度の知識と意欲を七波が持つのを見せることにより、被曝の実態の解明は鑑賞後の観客の努力に委ねてしまう。そういう方法もあったと思います。


映画版「桜の国」の描き方に、"ヒロシマ"の人を開放という概念はなかったと思うのですが、P93の
「けれど こんな風景をわたしは知っていた」
「そうあの時 わたしはふたりを見ていた」
「そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ」
ここは、私の考えを省いても、原作では隠喩している部分なので、映画化にあたっては本当にこの表現でいいのかの考察が必要な部分だったと言うしかないからです。そして私としては、考察の結果、"ヒロシマ"の人を開放が主題なんだなぁと思い至ったからです。

単に七波が本当に二人の過去を見ている映像になって出てくるなどとは夢にも思いませんでした・・・

こういう小さい部分の描写にも疑問が湧きましたし、大きな視点に戻ると、上に挙げた二つの例のようなアレンジになるだろうか、いや少なくともどちらかに軸を決めないといけないと想定していましたので、「夕凪の街」と「桜の国」を、時間配分まで半々にする演出にはただ呆れました。


佐々部監督の作品は、「陽はまた昇る」「チルソクの夏」「四日間の奇蹟」「カーテンコール」を見たのですが、前2作は不可ではなく、という感じで、後2作は滅茶苦茶でした。

映画から感動を覚えて泣くのは個々人の自由ですけど・・・
(1)悲しい場面を観客にこれでもかと見せつけて、必然のように泣かせる
(2)事実を客観的に描いて、落語のオチのように観客を納得させ、泣きたい人は泣く
という2つがあると思うのですが、(1)で泣かされるのはあまりいい作品だとは思わないし、そんなのは普遍的な作品とはならないでしょう(TVですが「フランダースの犬」は何故か例外ですが)。
佐々部監督の作品は、(1)驀進中で、(2)など考えも及ばない。そこが山田洋次さんとはそりが合わないところだと思います。いや、きっと佳作を残している監督さんとは全員そり合いませんョ。佳作って(2)だもの。


>peace さん

映画話3つと仰いますけど、映画は映画で別作品というのは大前提で、どんな映画でもクローズした世界観を持っているはずなんで、1つしかないと思います。

世界観を無視して原作とは違う場所を論っても、話のかみ合いようがないので全く意味の無いことですし、世界観を無視して作品を論うのも同様にかみ合いようがなくおかしいかと思います。

どういうことかというと、どんな作品でも(最近の宮崎駿さんみたいな奇特な方は別として)、「こういう作品を作ろう」という大前提があって、そこに企画書ができ、脚本ができ、絵コンテができ、予算と制作スタッフが決まり(勿論世界観と予算を勘案した妥協案を出さざるを得なくなるでしょう)、実際の撮影になって、場所とか天候とか役者の演技とかが付随され、さらにタイミングなんかもついてくるわけです(素人が映画の本でチョコチョコ見た程度のものなので実際はもっといろいろあるでしょうが)。最初双葉(若葉)だと思っていたものがどんどん成長していって、そのうちどこかを剪定したり、幹が曲がりそうなのを補強するようなものでしょうか。
ですから、世界観を考えながら語るというのは普遍的だと思うのです。

もちろん、人付き合いで、作品の批評よりもその人と仲良くしたい場合とか、その発言でスタッフのもらえるお金が左右されるものとかは、世界観を無視して語ったほうが無難な場合があるのは分かるんですが。
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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=301&

【ネタバレ】映画の件で 投稿者:こと 投稿日:2007年 8月 7日(火)21時33分21秒
peace様、KOBIYASI様、てる様に書き込みをいただいた件で。

皆実が「原爆は落ちたんやない、落とされたんよ」と言った件、主体への言及がないというのは確かにその通りと思います。

で、その後改めて考えていたのですが・・・これって昭和30年の話なんですよね。
昭和20年とか、投下直後の描写なら、皆実ら市民の皆さんは「落とされた」と言っていて普通と思います。「アメリカに落とされた」でしょう。

しかし昭和30年とは、それ以前に死没者慰霊碑の論争もあったし、作中に「原水爆禁止世界大会」とかありますから(これは映画でも確か出てきましたよね?)、その内容を皆実が知っていると考えた方が普通でしょう。

とすると、犯した「過ち」は既に広島市民も含めたもののはずで、昭和20年と違い「原爆は人間が落としたもの」という認識が皆実にも出来上がっていたと想像できます。


これだけの前提から、「原爆は落ちたんやない、落とされたんよ」は、本当に当時の市民が人に対して口に出して伝える感情だったのかと、未だに疑問に思います。(勿論、個人レベルで落としやがって~と思うのはアリでしょうが)


てる様には、原作にも映画にも深い愛情が感じられ、それはいいことだと思うのです。
ただ私から原作と映画を見ると、原作は原作の世界で完結しているにも関わらず、映画は映画の世界で完結していない。「原作を見て初めて分かった」というのは、映画としてはどうしても失敗なのかなと思います。


私は文句ばかりで恐縮ですけど、公開の季節を合わせられたし、私の投稿などはあまりにも微々たる物で、きっと興行的にはそこそこ行くと思います。下世話な話ですが、今後のビデオ等の版権収入も見込めますし。

えんりこ様が海外進出の話をチラとされていましたけど、カンヌの選考に出したのですから、英語かフランス語の字幕版は出来ているということですね。私がとやかく言っても、外には出て行くと思います。
訳語版ではこの原爆は落とされた部分、どういう翻訳になっているのでしょう。興味あります。

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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=296&

またお邪魔します【映画ネタバレ】 投稿者:こと 投稿日:2007年 8月23日(木)01時19分53秒
たまに映画の話題でしか出てきてない、ことです。

映画肯定派さんが多いので、ちょっと否定派の意見もたまには書いていかないとと思い書きます。


エストウォルドさまが仰った、

Metalloproteinさんの医学的な見方からの異論を頭に置いて注意して映画を観ていたとき気づいたのが、ひとつは昭和33年に皆実さんが急に原爆症を発症した際、寝返りを打ったとき髪の毛が枕にざらっと抜けたことです。あれは急性症状で、強い放射線を浴びた直後に発症するもののはずです。被爆後13年の原爆症の表現としてはおかしいと思いました。

私は改めて考え直すに、これが一番映画の痛いところだと思います。
原作P33を読み直してみましょう。
「髪も抜けとるのかも知れんが 触って確かめる気力もない」
すなわち、よくよく読むと、原作では皆実の髪は抜けているとは書いていない。
皆実は、霞姉ちゃんやその他の人々の亡くなるのを見ていたので、自分も抜けているのではと想像した可能性が高いと思います。

Webでチョコチョコと検索したところでは調べられなくて、エストウォルドさまの単なる受け売りなのは恥かしいのですが(エストウォルドさまを非難するわけではなく私の過ちです)、こうのさんは、本当に原爆に興味を持った人ならば、調べたりして「皆実ちゃん、あなたの髪は抜けていなかったんだよ」と言ってあげられる、ことを期待されたんじゃないでしょうか。(すなわち原作を読んだときに、"髪の毛"が単に原爆を表す記号だと思ってしまった私は、相当の読み込み不足です)


逆に、私たち観客とは別の次元で、原作を読み込んでその構造を一旦理解した上で再構築すべき監督が、意識的にせよ無意識的にせよ、"髪の毛"を単に原爆を表す記号に読み替えてしまったのは、あってはならないことだと思います。
私は、初めて見たときに、原爆症の表現としておかしいとまでは気付かなかったのですが、この記号化が非常に気になりました。

なぜならば、物語というものはフィクションであり、嘘ハッタリもありえますけど、この作品は「原爆」というものをできるだけ忠実に描かなければならないからです。忠実に描くことこそが、映画を作る目的であり、それを履き違えると、監督の伝えたかった"原爆"や、ひょっとしたら"平和"というものが、一体何なのかが分からなくなると思うのです。

受け取り手の側から見ても。この場面、原爆症の表現としておかしいと思える人は別格としても、普通の人は、自分の「はだしのゲン」などで得た原爆に対する知識の再確認になるだけで、実際は時間の浪費にしかなりません。(しかも誤った知識の植え付けなんですから、何をかいわんやです)

結局この映画では、人によってはスッキリ泣けるかも知れませんが(個人的には泣いてはいませんし、映画一般に関して泣く必要を感じません。勿論感動で泣くものはありますが)、現実を見つめることを忘れているのが大問題です。

過ちは何事も、現実を見失うことから始まると思っていますので。

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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=295&

映画の内容再度の投稿で恐縮です 投稿者:こと 投稿日:2007年 8月25日(土)02時16分8秒
たびたびで恐縮です。

まずエストウォルド様、本当ならば私が前向きに調べるべきこと・・・もう少し検索キーワードとか、漫画の裏に書いてある参考文献とか見ておけばよかったのですが、気持ちだけが先行しまして勝手に書きましたのに、さらに教えていただきましてありがとうございます。

一応私も原爆に詳しそうな方にメールするなりして若干教えていただいたこともあり、映画の問題点がだいぶ明確になりましたし、逆に原作はそれだけ考えて作られてるんだなぁと改めて感動した次第です。参考文献も読まずに言うのも恥かしいのですが。

この映画で、きっと大勢の人が原爆に関心を持つでしょう。その一方で、Metalloproteinさんの思い・・・「被爆者や被爆2世に対して新たな偏見や差別が再生産されることを危惧いたしております。」これは心底そう思いました。


たけし様、Tantan様、てる様、素朴なふりをして素朴な疑問を、私からも投げかけさせていただきます。

こうのさんの原作、それを基にしたMetalloprotein様やえんりこ様、エストウォルド様、(ついでに私も)、これらの実情や意見が出ているにも関わらず、Metalloprotein様待望論ですとか、ネットをうろついてみても皆実さんの症状が実情じゃないみたいという言及は見当たらないですとか、書くことができるのでしょうか。疑問点を他人任せにしたり、臭いものに蓋をされてはいませんでしょうか。

あくまで疑問であって、非難ではないです。自分も人頼みですので・・・念のため。

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http://6404.teacup.com/kouno/bbs?page=295&

潮時が来たのでお別れを言いに来たの 投稿者:ことメール 投稿日:2007年 8月26日(日)02時20分44秒 編集済
あんまり映画の批判内容ばかりだと、この掲示板に書き込みしづらい方もおられると思いまして、そろそろ潮時にして退場いたします。ご助言いただいた方には、多少きつい言葉になりましたことをお許しくださいませ。

Metalloprotein様は、4/30に映画公開前ということで「一旦退場」なさいまして、それから公開、こうのさんご自身の映画の感想解禁発言、その後ぼつぼつと、概ねMetalloprotein様の書き込みに沿わない好意的な感想が出てきて、現在では公開からほぼ1ヵ月経っている状態ですから、その時点で書き込みがないということは、書き込んでいただくことがない可能性の方が高いと思います。
勿論DVD化等のタイミングで書き込まれる可能性は否定できませんし、また現在もしお読みであれば、私が退場したタイミングで発言されることも考えられますけれども。

「医学的考証のミス」ですけれども、私が調べた限りで分かるのは、霞は被曝による細胞の死により脱毛したかも知れないが、皆実は被爆後10年後という時期であるため、Metalloprotein様のご指摘にありましたし、こうのさんも肯定されていますので白血病による死亡であります。その場合脱毛することはあり得ません。
紫斑については、細胞の死でも白血病でも出るようなので、その出方が違うのかも知れませんが私の理解の域を完全に超えています。

ただエストウォルド様の最後の2行は正確な転記でなく(あえてそうされているのだと思いますが)、私は正確な転記が必要と思い恐縮ですが転記します。

【転記はじめ】
「医学的考証のミス」について 投稿者:Metalloprotein 投稿日:2007年 4月25日(水)21時42分13秒
遅くになってすみません。この件、会場で佐々部監督にじかに問い質しました。「映画を面白くするための演出」という意味のご返事に心底失望いたしました。医学的にまだ解明されていないレベルではなくて、単なる無知、無関心、意図的な歪曲という水準である
【転記終わり】

「演出上こうした方がわかりやすいと思った」と「映画を面白くするための演出」では、事実を分かりやすく為の演出か、事実そっちのけで面白さを優先の演出かという意味で、受け取り方が全く違うと思えます。


Metalloprotein様は、「放射線影響研究所の研究員に報告いたしました」と書き込まれています。エストウォルド様に教えていただいたページですね。私からも、こちらに投書でもしてみましょう。連絡つくかも知れませんし。あまり期待はできませんけど。


多少きつい言葉になりましたことをお許しくださいませとは言いながら、てる様に一言だけ申し上げたいのですが。

小説でも漫画でも映画でも、私のようなシステムエンジニアでも、ものの作り手は、プロフェッショナルであればあるほど遍く、何らかの意味を持って作ります。受け取り手がそれに意味を見出すかはともかく。

ですから、引用いただいたこうのさんの文章は、書き込まれた当初よりご本心からの文章ではない、と思い続けています。

私がそう考える理由は、原作やその他のこうの作品、そしてこうのさんが他の作品(「王と鳥」)を観られた感想
http://www.ghibli-museum.jp/outotori/special/np04/
特に
わたしはいずれにもなり得る、いや、すでにいろんな局面でそのいずれでもあると感じるのです。うまい結末が易々とある筈などないのです。そんなものがあるなら、この世界はもっと違うものの筈だから。
の部分。これはこうの作品の全てに私が感じるものであり、また映画版「夕凪」では感じ得ないものだからです。

またこうコメントされた理由は、私の思いつくところ2つありまして。1つは私などと異なり原作者という非常に重要な地位にある方が、映画を批判された場合、映画関係スタッフや興行主その他の生活に与える影響があまりに大きい点。もう1つは、それでも映画として世に出れば、批判等に揉まれたり原作が売れるなりして圧倒的大勢の方に関心を抱かれるだろう点です。


これ以上お目汚しするのも恐縮ですので、これ以上こちらには回答いたしません。
疑問点等あればメールアドレス又はmixiの方にお願いします。皆様にも見ていただきたいのであれば、本ページと両方に記載いただければ、別途思うところを回答いたします。

長々と失礼しました。暫く出てきません。またほとぼりが冷めたころに出てくるかも知れませんがお相手してやってくださいまし。

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コレは、前のブログの書き込みのコピペですが、”「夕凪の街 桜の国」をよく知ることさんであれば
”と書かれていることからも、どこかの私人ではなくて、ブログの運営主であり原作者である、こうの史代さん自身が書き込んできたと私は考えています。
なおペンネームが”ただいま修行中”ですが、現にこうの史代さんは、この時点で”この世界の片隅に”をアニメ化するために修行されていたことと一致します。
私があくまでそう考える、ということですが。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/2ch-d4be.html

1 ■今考えるべきもの
南京にしての慰安婦にしても既に終わった過去の問題です。これを外交カードにする国の感覚もおかしいですが、真っ向から反論するネトウヨもどうかしていると思います。仮に神様が一部始終を見ていて
”こうだ”という結論があったとしても、今となっては
それは無意味なのです。
ただ、原爆は違います。
原爆の後遺症は現在進行形であり、未来へも続きます。
「夕凪の街 桜の国」をよく知ることさんであれば
ご理解いただけると思います。
事実、広島市では未だに福祉行政の中に
原爆関連の予算が組まれている状況です。
ネトウヨは南京や慰安婦について声高に叫んでも原爆について一言も触れません。
それは9条改定を掲げる安倍晋三率いる
自民党とて同じ。
対米追従から脱却して自立した国家になる気など毛頭ないネトウヨや自民党のどこにゆうこくが
あるのでしょう?
久しぶりにこのブログに憂国を見たので書かせていただきました。
一本芯の通った考えに感動しました。
ただいま修行中 2013-01-18 01:51:24 >>このコメントに返信
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無題

大西さんは相思相愛の岩田華怜とは週何回セックスしているのですか?

  • コメント編集
  • 2017/08/21(Mon.)
  • 大西さんは相思相愛の岩田華怜とは週何回セックスしているのですか?

無題

>もし私が先生になったら、板書なんてせずに、どうでもいいことを延々と喋って笑かすかなあ。

余計なことを考えないでください。

ストーカー警告書を受け取った者、
懲戒解雇歴、逆恨み裁判、
殺害予告犯、精神病を疑われている者は
教員にはなれません。

簡単に説明しますと
両腕がない人が散髪屋になれないのと同じです。
職業選択に自由はありません。

あなたがやってきたことは全て
あなたに負として返ります。

もう一度いいます。
余計なことを考えないでください。

アイドルとの恋愛、アイドルへの指導、
こういうものは信頼がある人しかできない特権ですから。

無題

>私も、ストーカーでもなんでもないのに、身に覚えがないことをいっぱい書かれて、ストーカーだと勝手に決めつけれた後で、公安がガチでこんなに調べ上げて警告書書いてきたんや。

これは人権問題です。
はやく警察へ行って苦情を言いましょう。
YouTubeのコメント欄やブログでブツブツ言っていても何も解決しません。
駅前でメガホン使うのもいいでしょう。
できませんか?できないですよねー?
勇気もなければ行動力もない。
そして何より、自分がストーカーだと理解している。
そうでしょう?
第三者からはそう見えているんです。
恥ずかしいです。


無題

43歳が18歳少女を自宅に連れ込むとニュースになるよ


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00010008-houdoukvq-soci

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動労東京
性別:
非公開

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